2011年10月3日の夜、ジャワ歴のマラム・スラサ・クリウォン (malam selasa kliwon)にチュプリ・パランクス モ(Cepuri Parangkusma)でモチョパットが行われました。
ウンジュッ・ドンゴ (unjuk donga = 祈り)という儀式で、独立戦争の際、スリ・スルタン ハメンク・ブウォノ9世 (9代目、ジョクジャカルタの王様)とスカルノ大統領が取り決めたジョクジャカルタ特別州の存続を祈る。という政治的意味も持った儀式でした。
チュプリ・パランクスモ(Cepuri Parangkusma = cepuriとは、ジャワ語で石がある場所)は、パランククスモ海岸 (pantai Parangkusuma) にほど近く、パヌンバハン・セノパティ (panembahan senopati = マタラム王朝時代の王様)がその石の場所で瞑想していた、またラトゥ・キドゥル (kanjeng Ratu Kidul)に会っていた。と言われる場所です。
まず最初にみんなで キドゥン・サリロ・アユ (kidung Sarira Ayu) の一節、kidung rumeksa ing wengi (dhandhanggula)が歌われました。
キドゥン・サリロ・アユ (kidung Sarira Ayu) とは、、、、、
モチョパットの詩集 (kidungan) の一つで、内容は神聖な祈りの意味を持っている。ジャワでは、これを唱えると平安に過ごせると信じられており、重要な行事ではよく使われる歌詞 (cakapan) である。重要な行事でこれを歌う際、ジョクジャカルタではダンダングロ(dhandhanggula) の 旋律の中でもケンタール (kentar) か ポドセッ (padhasih) のみを使用する。
そして祈りが捧げられ、パヌンバハン・セノパティ (panembahan senopati) が瞑想したといわれる場所へ向かいます。
行列はお供えをもって、参加者みんなで祈りを唱えながら進みます。
この石がセノパティ (panembahan senopati) が瞑想した場所といわれている チュプリ・パラン・クスモ (cepuri parang kusuma)
レポート : トーフィ・ヘルマワン ( laporan : Taufiq Hermawan)